正義の取捨選択

 

アラミスが獣神化しました。

私が文末に「アラミス獣神化しないかなぁ」と書いた記事を投稿した約1時間後に。

もしかしたらこのブログは、記事の締めにボヤいた願望が実現される不思議な力を持っているのかもしれない。いやそうに違いない。これを利用すれば全てがうまくいくかも知れない。

そんなことを考えながら書きます、記念すべき2回目の投稿です。

 

記念すべき2回目。

記念すべきは2回目ではなく1回目なのではないかと誰もが思い私に全力で石を投げていることが容易に想像できる。

でも1回目の投稿は言わばご挨拶、自己紹介こそしなかったとはいえ、所謂初投稿にありがちな「ブログを書き始めようと思った理由」を皆さまにお送りした。(読んでくださった方本当にありがとう。あなた方は今私に向かって石を投げてはいないだろうと心から信じている)

それは、言ってしまえばあの時いちばん書きたかったことではなく、書いた方がいいだろうなと思って書いた記事に他ならない。(もちろん書くこと自体はものすごく楽しかったということだけは特筆しておきたい。)

つまり、2回目の投稿こそ自分の書きたいこと、感じていること伝えたいこと、それを初めてブログというツールを使って外へ放出する記念すべき真の1回目だと思っている。

 

こんな前書きをしてしまうとものすごくハードルが上がってしまうということに、今しがた気が付いた。

言い訳のようになってしまい申し訳ないが今から書くことは記念すべき2回目の投稿のためにあたためてきたネタでは決してない。今私は休日である明日への想いを馳せながら必死で仕事を終わらせ、録画しておいたアンナチュラルを観ながら夕飯の焼うどんを食べ終わり、ベッドに寝転がって「ブログでも書くかー、なに書こうかなぁ」と思い立ち、たまたま枕元に置いてあるスマホに手を伸ばしてはてなブログのアプリを開いたところである。

 

なのでここから先はあまり期待しすぎずに読み進めて欲しい。これから書くことはあまり人からの共感を得にくいネタだと思っている。

 

 

 

人間には三大欲求と呼ばれるものがあることを、その中身について特に詳しく書かなくても大抵の人間は知っていると思う。

ただこれから書くことにその三大欲求はほとんど関係ない。ならなぜ三大欲求という言葉を出したかと言うと、これから書こうと思っていることがその三大欲求という言葉や性質ととてもよく似ているような気がすると、今さっき感じたからだ。

 

「衣食住」

 

ある程度の年月を日本で生きていれば、誰でも一度は耳にしたことがある言葉だと思う。「三大欲求」のように、ちゃんとした名称は付いていないけど(私が無知なだけでもしかしたら付いているのかも知れない。とりあえずザッと調べてみたところそれらしきものは見つけることができなかった)まぁ、「三大生活基盤」とでも名付ければいいのだろうか。

 

憲法第25条に、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあることは、何年も前に社会科の授業で教えてもらった。(これが憲法の何条だったかと、微妙な文章のニュアンスに関してはさっきウィキペディアで調べた。ちゃんと覚えていなくてごめんなさい。先生。)今改めて冷静に見てみても、当たり前のことを言っているように見えてこのルールが定められている日本は割と良心的で優しい国なのではないかと思う。

この憲法に定められている「健康的で文化的な最低限度の生活」が出来ているかどうかを判断する材料になるのが、「衣食住」だと私は思っている。

難しい言葉で書かれてはいるけど、外に出るために着るものがちゃんとあって、餓死するかもしれないと不安にならない程度のご飯を食べることができて、そして帰る家がある。この国に生まれた全ての人間がそうなれるように国は頑張りましょうよ。要はこういうことでおおよそ間違いはないと思う。

 

ここからが本題なのだけど、

(前置きが長くて大変申し訳ない)

私はこの「衣食住」の中で、「住」に対するこだわりや執着が平均値よりもバカ高い。

 

私は今、大都会東京のそれも23区内で一人暮らしをしている。寒い寒い雪国で育ち、東京への憧れが人一倍(どころか5億倍くらいはあったかもしれない)強かった私は、高校卒業後、東京の大学に進学して念願の東京での一人暮らしをスタートした。

そしてその時に入居した家に今も住み続けている。大抵の人にはドン引きされるが、もう10年以上同じ家に住んでいることになる。

この家に入居した当時、高校卒業したての私はちゃんとした物の価値やお金を稼ぐ大変さなんて全く知らない世間知らずだった。

話は少し脱線するけど、私は大学を卒業して社会に出るまで、お金で苦労したことがほとんどない。高校生くらいまでは友達にも「うちは貧乏だから〜」とか、「うちマジお金ないよ〜妹いるしさ〜」なんて言ってまわりに話を合わせていたけど、ほんとは小学生の時から気付いていた。うちは大金持ちではないけれど、小金持ちとは言えるであろう家柄で、少なくとも貧乏ではない。お金は余っているわけではないけど、姉妹3人が不自由することなく暮らしていける程度の資産はあるのだと。

決して甘やかされていたわけではないと自信を持って言える。お金のあるお家の子どもにありがちなのかもしれないけど、親が教育熱心だったため学校の勉強や習い事、生活習慣に関してはむしろ厳しく育てられたので親に対する不満が当時は絶えなかった。

でも、勉強道具や習い事に必要なもの、当時はわからなかったけど毎月支払う先生へのお月謝の金額などを考えたら私はとても恵まれていて、最高に文化的な生活を送らせてもらっていたと思う。感謝である。お父さんお母さんありがとう。

 

この記事は両親への感謝を伝えるために書こうと思ったわけではない。話があまりにも脱線しすぎである。話を元に戻します。

 

今までの話を踏まえた上で考えればお分かりいただけるであろう、私が大学に入学する際に入居して今も住み続けているこの家は、大学までのアクセス良好、駅近で近くにスーパーもあり、オートロックでバストイレ別、そして住所はもちろん東京23区内。

 

家賃が安いわけがない。これで安かったら絶対に何かあるだろうというレベルで快適なおうちである。

私の両親は私の初めての一人暮らしを案じて、多少の出費は惜しまずに、大切な娘が安心して暮らせる家を文句ひとつ言わずに借りてくれた。そして大学の4年間そこで私は真面目に学び、そして時には羽目を外し、素晴らしくも破天荒な思い出をたくさん作った。

とても快適だった。この家が大好きすぎる。どこよりも居心地がよく、心から安らげるこの家が私にとって宝だった。

 

そして大学卒業の時。

社会に出て、親の手から離れ自給自足の生活が始まる。

当然、家賃も自分で払わなくてはいけない。

現実的に考えたら引越しである。社会に放り出されたばかりの小娘が毎月滞りなく支払うには少し、いやかなり厳しい金額だと今考えても思う。

 

新しい家探しは楽しかった。期待に胸を膨らませ、新たなる憩いの場を探しに行く楽しさ。「住」への執着が強すぎる人間にとって新しい家探しは人生そのものであると言っても過言ではない。

 

ただ、そこからは少し想像と違う方向へと進んでいった。

 

「新しい最高のおうち」が見つからない。

その時に引越す理由は端的に言えば「家賃を下げたい」からだ。当然である。自給自足の生活をしていくためにはある程度仕方のないことだった。希望の家賃を今の「最高のおうち」の家賃より下げて、都心からも少し離れたところをまわっていくうちに私の心はどんどんくすんでいった。

 

住みたいと思えない。「住めば都」ということわざがあるけれど、なんとなく直感的にそうも言えないような気がする。なんとなく違う。「毎日帰るのが楽しみな最高のおうち」の予感がイマイチしてこない家ばかりだった。

 

思い返せば大学4年間、我ながら嫌な奴というかキモいというか陰気というか、あまり胸を張って言えることではないけれど、家を出る瞬間から家に帰りたいと思っているような学生だった。大抵の女子大生は講義の後に学食でみんなとごはんを食べながら恋バナをしたり、駅前のスタバで新作を飲みながら嫌いな先生の悪口を言ったり、そういうことを楽しみにして家を出る人が大半なイメージだけど、私にとって1日の楽しみは「家に帰る」ということだった。

午前中で講義が終わる日、私はごはんを食べずに家に帰って昼ドラを見ながらカップラーメンを食べたいと思っていたし、スタバの新作には興味がなかったから、早めに家に帰って撮り溜めたドラマを消化したいと思っていた。これだけ聞くとテレビが好きな子みたいだけど(もちろんテレビ大好きな生粋のテレビっ子ではあるけれど。)詰まる所、家が大好きだったから。それが大きな理由だったと思う。

一応言っておくと友達がいないわけではなかったし、午前中に講義を終えて家に帰ろうと思っていたところに友達から誘われてごはんを食べてから帰ったことだって何度もある。別にそれが苦痛なわけではなくそれはそれで楽しい時間だったし、学食中に響き渡るような声を上げて腹を抱えて笑ったことだってある。

それでもやっぱり根底には「家に帰るの楽しみだなぁ」という気持ちがあった。これも一応書いておくけれど、「こんな時間つまらないから早く家に帰りたいなぁ」という気持ちとは違う。この時間がつまらないから家に帰りたいなんて家に失礼である。今この時間がつまらなくたって楽しくたって、とにかく家は最高。それは揺るがない事実だし、ここが家ではない限り私は家に帰りたいと常に思っている。ネガティヴな意味ではなくて。

 

これだけ書けば私がどれだけ家を愛していて、そして執着しているのかお分りいただけただろうと思う。

 

いろんな家を見ていろんな話を聞いた上で、私は一つの決断を下した。

 

引っ越しはしない。

 

親は慌てふためき反対したし、そんなバカなと腰を抜かしそうになったことだろうと思う。

何もかもを譲る必要はない、ただひとつだけでも譲歩して、無理なく暮らしていける家に決めてほしい。親ならそう思うのは当然だし理解できる。

でも、譲れない。何も譲れないのだ。都心まで出るのに時間がかかることも、ユニットバスであることも、部屋が今の最高のおうちよりも狭いことも、独立洗面台がないことも、天井が今の最高のおうちよりも少し低いことも、どうしても譲る気にならない。「住む」ことに対してどうしてもひとつも我慢したくなかった。

自分の家。賃貸とは言え家賃を払う以上自分の家だと言っていいと思っている。そこはやっぱり最高の場所であってほしい。

全ての条件を譲らない代わりに、高い家賃という条件を飲もうと決めて親を説得した。これは私の中の優先順位に忠実に従った、言わば正義の取捨選択だったと思う。

 

ものすごく柔らかくて口に入れた瞬間とろけるような最高級のお肉も、キラキラ輝いて見えるブランド物の洋服も、すごく価値のあるものだと思う。だけどそれよりも私はくつろげる空間、最高の我が家を欲していた。

 

例えば、誰もが目を見張るような豪邸に半額シールの貼ってあるお惣菜を買って帰り、それと冷凍しておいた昨日の余りのごはんに塩をかけて食べるとか。

高級百貨店の地下で売っているグラム5000円する牛肉を片手に家賃2万円の家に帰るとか。

ハイブランドな洋服を両手いっぱいに抱えながら立ち食い蕎麦屋さんで夕飯を済ませるとか。

わかりやすい例え話に過ぎないけど、これらを私は矛盾だとは思わない。正義の取捨選択の結果なんだろうと思う。極端ではあるけれど。

 

もちろん衣食住の全てを平均的なレベルに整えて生活していくのもひとつの取捨選択の結果だと思うし、言ってしまえばそれが普通なんだと思う。だけどそんな風に器用に生きられない自分みたいな、極端にひとつの生活基盤に情熱を注いでしまう人も少なくない。

 

社会に放り出され、死ぬほど嫌なことを経験し、お金を稼ぐ大変さを痛感した。後々きっとブログに書くことになると思うけど、本当に大変なことが数え切れないくらいあった。正直毎月家賃を払うのが苦しくて泣きたくなる時もあったし実際に泣きながら眠りに就いた日もある。だけどそれでもこの家に住めていることが嬉しかったし幸せだった。

この苦しみが食のためだったり身に付けるもののためだったら、私はここまで踏ん張れていなかったと思う。家が大好きで、家にいる時間が何より幸せ。夕飯は半額のお惣菜でいいし、明日着る服はクローゼットをあけて一番手前にあったものにしよう。そこにこだわりはない。

この家のためだからこそ頑張れる。まるで我が子のために身を粉にして働く母親のような気持ち。そうやって私はこの家と共に10年以上生きてきた。

 

長い長いこの記事もそろそろクライマックスに突入する。

ここまで書いたことを踏まえてこの先を読み進めていってほしい。

 

 

私は今、引越しを考えている。

というかほぼ心に決めている。

 

 

ここまでのエピソードはなんのためだったのか?時間を返せと槍の飛んでくる音が聞こえる。あと少しだからどうか聞いてほしい。

 

上京してきてすぐの私はまだまだ純粋だった。

この家が最高で最強だと信じていたし、実際にそうだった。それは間違いない事実。

 

だけどそれから月日は流れて私は今30歳を目前にしている。あの頃に比べたら抱えているものも、放出したいものも、そして「家」に求めるものも少なからず変わっている。

数年前くらいから思うようになった。

 

(この家、狭いなぁ…)

 

10年前には考えられなかったことだけど、今の私にとってこの家は少し狭い。仕事でもそれなりの立場に立つようになって、管理すべきものとか大事にしているものもあの頃に比べたらものすごく増えた。

今の私にとって、少しずつこの家が「最高で最強の我が家」では無くなってきていることを、私は感じ始めている。

 

これはとても喜ばしいことで、あの頃に比べたら当然だけど少なからず収入が増えた。あの頃の自分がやきもきしながら一世一代の賭けのような気持ちで飲んだ「家賃」という条件。その条件を引き上げて、さらなる最強な我が家を探すことができる自分が今ここにいる。

うまくいけば、来年の今頃は新しい最高で最強の我が家でブログを書いていることになるだろう。

楽しみと同時にとても寂しい気持ちがどうしても拭えない。私はこれまでこの家のことをとても大切な相棒として考えてきたけど、家は喋らないし気持ちを伝えてくることはない。

私がいくらありがとうと言っても伝わっているのかどうかはわからないし、私が引っ越すことを恨み悲しみ泣いているかもしれない。私はこの家が大好きだけど、大好きなのに、この家がどんな気持ちで今の私を包み込んでくれているのか知ることができない。

だからこそこの記事で、この家の素晴らしさとかこの家で私がどれだけ癒されてきたか書こうと思ったのかもしれない。この家を出る前に形として、言葉で残しておきたかったのかもしれない。

 

今後、新しい最高で最強の我が家に引っ越すことができたとしてもこの家がどれだけ素晴らしく尊いものだったかは絶対に忘れないし、辛い時苦しい時を共に乗り越えて成長してきたからこそ今の自分があると本当に思っている。

私がここを出たあと、きっと新しい人がここに入居するだろうけど、私と同じようにこの家を愛してこの家のために頑張ってくれる人であることを切に願う。

 

 

ここまで書いておいて大変恐縮ではあるけど、現段階で引っ越しは「します」ではなく「したいです」であることを主張させてほしい。

そして1年後、まだこの家でブログを書きながらゴロゴロしていたらどうか皆さんに笑ってほしいと思います。

 

 

この記事を書くのにおよそ2時間弱かかりました。暇かよ。いや暇だよ。暇つぶしのためにブログを書くって最初の記事に書いたろうに。

ここまで読んでくださった方も相当お時間を持て余している方かと思います。

ブログを読んだよと言ってくだされば金閣神殿を1回分サービスいたしますのでご遠慮なくお申し付けください。

 

 

あたりに散らばっている石と槍を拾って片付けたらお風呂に入って眠りに就こうと思います。

 

 

職場の人からいただいたかわいいスリッパの画像をツイートしたら、ブログ云々書いてそれなりにいいねをもらった記事のいいね数を簡単に超えました。そんなもん、だよなぁ。

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明日の朝イチ、グリファンシングルでデドラビ出ないかなぁ。

 

 

 ♪フィルム / 星野源