最強の男

 

実に半年ぶりの執筆です。

このブログを開設後3記事目にしてお久しぶりですというご挨拶をしなければならないことに対して、現代風に言うと「草しか生えません」と言ったところでしょうか。

 

書きたいことがなかったわけじゃないし、実際下書きには書き途中の記事が3つほどあります。だけどなんとなく途中で、また後でにしよう。いいやーまた明日で。と思って放置してしまった記事達です。

やはり、「また明日でいいや。」の「明日」は永遠に来ないのかもしれません。

 

ただ今回の記事は、2日前くらいにパッと思いついてどうしても書きたい、書いておきたい、これは書かなくてはいけないという猛烈な執筆意欲に襲われて数ヶ月ぶりにはてなブログのアプリを開いた次第です。

 

ただひとつだけ忠告しておきたいのは、こんだけ壮大な前フリを掲げた記事であるにも関わらず、多分読んでくださった方に同意は得られにくく、下手すると軽蔑されたり人間性を疑われてしまったりする可能性もあるということ、それでも今の自分を構成している大事な要素のひとつであることに違いはないため、自分で自分を見つめ直すためにも書きたいと思った、自己満of自己満of自己満な殴り書きであること。

これだけ、ひとつのマナーとして、書き残しておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人が人を好きになる時、何を以って魅力を感じ、好意を持ち、愛という感情に発展するのか。それは人それぞれ違うはずだし、いくつかの条件はあれど、それぞれが占めるウェイトには少なからず差があることと思う。

 

私は異性愛者であるため、恋愛対象は男性。そして、男性に好意を抱くポイントとして自分の中で大きすぎるくらいのウェイトを占めているのが、「容姿」である。

もうこの時点で、あぁこいつは…と、ため息をつかれてしまっているかもしれない。申し訳ない。

自分がいかに容姿を重視し、それを曲げることが出来ずに29年間生きてきたのか、それに気付いたのはつい最近のこと。

それに気がついた経緯についてまずは書きたいと思う。

 

 

人生遡ること13年ほど前、私は高校2年生だった。セーラー服が着たいという気持ちだけで受験勉強に打ち込み、もともと学力的に割と厳し目だった学校に最終的には余裕の点数で合格し、毎日元気に自転車で30分かけて学校に通っていた。

1年生の時よりも話の合う友達が出来て、毎日それなりに楽しく学校に通っていたある日のこと。今でも覚えているゴールデンウィーク明けの5月半ば。

私は自分の教室の中にものすごい自分の好みにぴったりはまるとんでもない王子様がいることに漸く気付く。新しいクラスになって1ヶ月半ほど経ってから。遅すぎる。一体それまでの1ヶ月半私は何を見てきたのか。

鮮明に思い出せる、午後イチの古典の授業。いちばん廊下側の席だった自分は、なんとなく授業に飽きていちばん遠い窓側の席に目を向けた。

その時、廊下側から数えて3列目、つまり私とは1列挟んで隣に座っている男の子が、私が窓側の席を向くのとほぼ同時にこちらを見て、完璧に目があった。

 

その瞬間、たとえ話ではなく本当に体に電流が走った。

ちょっと待って何この人?

え、かっこよすぎでは?

待った待った待った、見間違いでしょ。幻だよ。

あんなかっこいい人が同じクラスにいるのに私が1ヶ月半も気が付かないわけない。

いや、ありえないありえない。幻だわ。

 

そう思って一度俯き、全ての感情をリセットしてもう一度、幻影が映り込んだ席をチラ見した。

 

ダメだ。いるわ。本物。どうしよう。

 

幻ではなかった。手足が本当に震えてノートがまともに書けなかったことを覚えている。

見たい。もう一回見たい。でも見すぎてキモいって思われたらどうしよう。でも見たい…

そんな葛藤に苛まれている内に古典の授業は終わった。

 

もう私の心はその日から彼のことでいっぱいになった。彼、という言い方だとなんだかくすぐったいので、ここでは「つばめくん」と呼ぶことにする。理由はなんとなくかっこいいから。

毎朝ギリギリの時間に教室に入ってくるつばめくん。教室のドアがガラリと開く瞬間の、つばめくんかも!?という謎のドキドキ感はたまらない。席替えがあればつばめくんより後ろの席になるよう祈り(毎時間大好きな背中を観察できるから)、金曜日の帰り道は、これから2日間つばめくんを見ることができないのかと落ち込み、日曜の夜はまた次の日から5日間つばめくんを拝み倒せることを神に感謝しながら眠りに就いた。

つばめくんに会える唯一の場所、通っていた学校の2年4組という教室が愛おしすぎて気がついたら3年間まさかの無遅刻無欠席で最後の終業式かなにかで謎の表彰をされたこと、今でも見渡す限り大草原しかない。(つばめくんと出会うまでの期間も幸か不幸か体調を崩すことがなく無遅刻無欠席だったの、ネタでしかないよ)

かなりの年月が経った今でも全ての気持ちと情景を思い出せる。きっと30年経っても50年経っても、忘れていないだろうと自信を持って言える。

 

 

つばめくんとどんな時間を過ごしたか、初めておはようと声をかけておはようという言葉が返って来て失禁しかけた時のこと、アドレスを聞き出すことに苦労したこと、初めて返ってきたメールは携帯が壊れるまでずっと保護していたこと。高校を卒業してからメールで想いを伝えたこと。

この辺に関しては書くと長くなりすぎるし、今回の記事で書きたいことの本筋から若干ずれるので割愛します。

 

 

とりあえず今回の記事で大きな鍵となるつばめくんとの馴れ初めと、私がいかにキチガイ染みた感情を抱いていたのかはしっかり説明できたと思うので、いよいよ本題に入りたい。

 

 

私はつばめくんのどこに惹かれて、なぜこんなことになるまで好きになってしまったのか。

察しの良いみなさんならもうお気付きかと思うが、ズバリそれは見た目。容姿。その言葉に尽きます。

私はあまり顔のパーツひとつひとつをまじまじと見るタイプじゃなくて、なんとなくの全体図を見るタイプだけど、改めてひとつひとつのパーツについて考えてみても非の打ち所がないルックスだったと思う。

顔はもちろん、その顔の良さを存分に引き出すために最適な髪型、制服の着こなしも変に腰パンしたり崩しすぎず、だけどカッチリしすぎてダサいということもない、制服着こなし選手権があれば3年間優勝し続けてつばめくんが殿堂入りしていただろうなと思う奇跡の着こなし術だった。体型だってものすごい痩せてたり太ってたりということもない、ガッチリしているわけでもなければヒョロヒョロしているわけでもない、だけど軸がしっかりしているタイプの骨太型。声や仕草ひとつ取っても私のために存在している概念なのかな?と錯覚を起こすレベルで完璧だった。

本当に、完璧だった。奇跡だと思っている。

 

 

高校を卒業して大学生になり、新しい出会いがたくさんあって、それなりに好きな人ができたり合コンしたり、つばめくんが日常にいなくなっても私の日常はそれなりに華やかで楽しかった。

だけどつばめくんの完璧な容姿のことはずっと覚えていたし、ずっとずっと大好きだった。

そんな矢先に事件は起こる。

 

つばめくんはツイッターをやっていた。私もやっていた。もちろんツイッター上で繋がっているわけではなかったけど、彼のアカウントには鍵がかかっていなかったので、時々魔がさした時にこっそり覗いていた。

 

そこで見つけてしまったひとつのツイート。

詳しく書くとこれを読んでくれている人につばめくんが嫌われてしまうと思うのでぼかすけど、明らかに私のことをdisっているとわかるツイートがあった。どう好意的に考えてもこれは私のことを言っているし、完全にdisってる。

disってるという言葉だと語弊があるけど、明らかに私のことを面白がってネタにしてくれていた。

 

ひとつの時代が終わったと思った。つばめくんがそんなことする人だと思うと悲しかったし何より自分がつばめくんにとって嘲笑の対象だったことが悔しかったし今すぐ消えたいと思った。

 

 

だけどその気持ちは1週間と持たなかった。

 

 

私はネガティブでもあるけど、ひとつの壁を乗り越えると周りがドン引くくらいポジティブになる。

 

 

つばめくん、私のこと卒業してからも思い出してくれてたんだ!!!!!覚えててくれてるんだ!!!!!名前を聞いても思い出せない、誰?みたいな存在になるより5億倍マシじゃない!?!?!?私、勝ち組じゃん!!!!!

 

 

 

なんという芸人魂。自分で自分に引きます。

だけどある日を境に吹っ切れて、また再び自分の中で最強の男につばめくんが返り咲いた。

 

 

 

それから今まで、自分の中の最強の男という椅子からつばめくんが降りたことはただの一度もない。

 

ここで私の顔面至上主義の信憑性を極限まで高めてくれる、つばめくん以外の重要人物をご紹介しよう。

私には3年ほど前まで付き合っていた彼氏がいた。

付き合い始めた時の私の年齢は24歳。

毎日が幸せで、ものすごく楽しい日々を送っていた、らしい。

らしい、というのは、正直もう私はその時の感覚や景色や心情がどうしても思い出せない、というよりはぼやけてしまって、思い出せることはあってもその時の自分の気持ちに自信が持てない。

幸せだったことはなんとなく思い出せる、大好きだったこともぼんやり浮かんでくる。あー、あの時すごく私笑ってた気がする、そういえばあの時楽しかったかも…

でも、幸せだった!最高だった!毎日笑ってた!大好きで仕方なかった!って、自信を持ってなぜか言えない。

それにはきっと色んな背景があって、付き合っている間に本当に色んなことが起こってしまって、人間としての尊厳を踏みにじられるようなことがあったり、裏切られたり、傷つけられたり、そういう理由ももちろんたくさんある。

この時の彼氏にされたことや言われたことは今書いても長くなるだけで、今回の記事の本筋に大きく関わっているわけではないので割愛していつか改めて記事にしたい。(謎の願望)

 

だけど、今私が振り返って思うこと。

人間として最低最悪なことを言うけど、多分私はその時の彼氏の容姿が別に好きではなかったんだと思う。

もちろん容姿の他に好きなところがたくさんあったし、だから付き合っていたわけだし、大前提として付き合っていた時に、この人の容姿微妙だなと思ったことは一度もない。

だけど、この人の顔かっこいいなぁ…好きだなぁ…美しいなぁ…と思ったことは、正直ない。

好きだから、やだかわいい♡とか、この仕草萌える♡みたいなことはあったと思う。だけど、容姿だけにフォーカスして考えた時、自分の好みという直線上に彼が立っていたかというと、答えはNOである。

 

 

私は、もう何年も顔を合わせていないつばめくんのことは今でも大好きだし、結構な勢いでひどいことをされたと自分でも思うけど、あの容姿のおかげでその嫌な思い全てが吹き飛ぶどころか、吹き飛ばした上で大量のお釣りが自分の心に返ってきている。

一方で当時の彼氏に関しては、つばめくんよりずっと個人的な幸せをもらった記憶がぼんやりだけどあるし、友達への惚気LINEやアルバムを見返してみると、ふたりだけの大切な思い出がたくさんあったことがわかる。つばめくんには無い、ふたりだけの大事な大事な数年間が私と当時の彼氏にはある。彼にされたことや傷つけられたこと、裏切られたこともたくさんあるけどそれに関してはつばめくんと同じ条件だし、多分側から見たらつばめくんが私にしたことの方が若干ではあるけど外道扱いされることのような気もしている。

 

だけど私の中の「最強の男」という椅子に今でもずっと座っているのは、ふたりだけの大切な日々や思い出が形として残っていて、周りが羨むほどの幸せな時間を共にした(らしい)当時の彼氏ではなくて、たった1年間同じ教室で過ごした40人弱のクラスメイトの中のひとりであるつばめくんに他ならない。

 

 

それは、つばめくんと一緒に過ごしたわけじゃないからだとか、もしもつばめくんと付き合ってたら嫌なところもたくさん見てしまって嫌いになってたかもしれないとか、挙句お前が今でもそこまでつばめくんのことが大好きなのは手に入らなかったからだなんてことをよく言われる。

 

それらの理屈は一見、一理あるように聞こえるけど結局のところ違う。

 

私はつばめくんの見た目が本当に大好きだった。もうこの記事の中で何度も言ってるけど、本当につばめくんの見た目が大好きだった。

つばめくんと付き合ってたら嫌なところをたくさん見て嫌いになっていたかも知れないと言われたところで私はつばめくんの嫌なところをもう既に見てしまっている。だけど嫌いになってない。だからその理屈は違う。

よく聞く言葉だし私自身も何度も言われた、「今でも大好きなのは手に入らなかったから」?

 

手に入ってたらもっともっと大好きになっていたに違いないわ!!!!!!!!!ボケ!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

と、本気で思っている。

 

 

私はつばめくんに酷いことをされたし言われた、なんならその発言は誰もが見られる場所に投稿されて全世界の人が見ようと思えば見られるところに一生残っている。

この言動をつばめくん以外の人がやってくれたとしたら私は発狂しているしなんらかの方法で復讐していたかもしれないし、その人を社会的に抹殺してしまおうと考えたかも知れない。

だけどつばめくんだから。顔がかっこいいから。すごく見た目が好きだから。その気持ちが圧倒的勝利を遂げてしまった。

そして出会いから13年ほど経った今でも、つばめくんと同じ教室で過ごしていた時の気持ちや出来事はどんなに小さいことでも鮮明に思い出せる。

 

一方、3年前まで付き合っていた当時の彼氏のことはもう1ミリも好きではないし、なんならあの時の思い出とか気持ちなんて思い出せないことの方が多い。

 

私は薄情者なのかもしれない。というか、薄情者なんだと思う。

だけど、恋は幻。結局は当時の彼氏と付き合っていた時の私は魔法にかかっていて、別れて3年経った今、もうその魔法はとうの昔に効力を失ってしまった。

だけど、見た目が好みという最強のカードは魔法でも幻でもなんでもなく、いつまでも自分の心の中に掲げられている。

人の見た目はそう簡単には変わらない。

失礼な話、つばめくんがもしもホームレスになったり、何か事件を起こしてしまったとしてもあの顔は変わらない。つまり私はあの顔がこの世に存在している限りつばめくんのことを嫌いになることはない。

 

今でもつばめくんとの出会いには感謝してるし、何よりつばめくんに対して、生まれてきてくれてありがとうと思っている。そしてつばめくんと同じ惑星、そして同じ時代に生まれ、同じ高校に入学して同じクラスに編成されるという、確率を計算したら目が回るような数字が出てくることが数学が全く出来ない自分でもわかるレベルの奇跡を起こした自分に大きな拍手を送りたい。強運すぎる。

 

 

人は見た目が100パーセント、なんてドラマが過去にあったけど、見た目が100パーセントだなんて私は思っているわけじゃないし、人間大事なのは中身だよって言葉に対してもその通りだと思う。

誰が何を重視して、パートナーや想い人を決めるかなんてその人の自由。私だって顔さえ良ければ誰とだって結婚できるなんてことを言っているわけではない。つばめくんレベルなら話は変わってくるけど。

 

だけど、おそらくこの地球上に存在する男性の中で自分の好みにいちばん合う人間と、齢16程にして巡り会い人間性を捻じ曲げてもらえたことは大いに感謝すべきだと思うし、とてもとても幸せだと思っている。この記事で何が言いたかったかというと、つまりはこれに尽きる。

顔面至上主義です!!!絶対に顔のいい男と巡り合って恋愛します!!!なんてことが言いたかったわけじゃない。

ただ、私はつばめくんという男性と出会ってひとつの大事なアイデンティティを手に入れたと思っているし、はちゃめちゃにラッキーな経験をした。

 

 

 

なんだか突然つばめくんのことを思い出して胸が熱くなる夜がたまーーにある。

そんな夜が数日前ひょんなことからやってきて、この気持ちを記事にして残しておきたいとその時強く思った。

 

今回の記事は道筋のない殴り書きだったから、文の構成も悪いしよくわからない、オチもない、そして何より話の論点や軸がブレてる部分がたくさんあると思う。

だけどそれを含めて私がつばめくんを思う気持ちの大きさだと思って今回ばかりは大目に見てもらいたい。

 

 

最後に、私はもう死ぬまでつばめくんには会いたくないと思っている。

だけど、もしいつか、ふとした瞬間にどこかでつばめくんを見かけることがあったら、電柱の陰に隠れて、私の存在に気がつくことのないつばめくんを5秒間だけ見つめていたい、とも思う。

きっともう会うことはないけど、ずっと私の中に存在する「最強の男」という椅子に座り続けている最強な男のお話でした。

 

 

おしまい

 

 

SAKEROCK / SAYONARA